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1 | 淀川の四季(よどがわのしき) | 古来から「母なる川」として沿岸の歴史や文化をはぐくんできた淀川は、豊富な水量をたたえ、生物に恵みのすみかを提供するとともに数多くの動植物がすみついています。その美しさは、文政9(1826)年に淀川を船でさかのぼったシーボルトが、「祖国マインの谷を思い出させる」と賞賛したほどでした。江戸時代には、三十石船などが伏見-大坂間を頻繁に上下し、枚方は舟運の中継港として大いににぎわいましたが、現在では渡し舟さえ姿を消してしまいました。 今、河川敷は公園として整備され、子どもたちが遊ぶにぎやかな声が聞こえます。春にはカラシ菜が堤防を黄色に染め、夏には蒲(がま)の穂が立ち並びます。秋には曼珠沙華(まんじゅしゃげ)がいろどりを添え、冬には大小の水鳥が群れて飛びかい、天王山と男山の間に遠く冠雪の比叡山が光り、四季折々に私たちの目を楽しませてくれます。 | 京阪電車「枚方公園駅」「枚方市駅」「御殿山駅」「牧野駅」「樟葉駅」でそれぞれ下車し、淀川方向(西)へ徒歩。 |
2 | 樟葉宮跡の杜(くずはのみやあとのもり) | 『日本書紀』によると、越前(福井県)の三国(みくに)から迎えられた男大迹王(おおどのおおきみ)は、のちに継体天皇として507年に樟葉で即位し、5年にわたり宮を営んだとされます。 樟葉宮跡の杜は交野天神社の境内にあり、石灯籠が並ぶ参道を進むと拝殿の向こうに室町時代の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で桧皮葺の交野天神社本殿と末社八幡神社本殿が見え、拝殿右側の杜の奥には貴船神社が鎮座する小丘があります。この小丘周辺は継体天皇が即位した樟葉宮跡の伝承地として大阪府の史跡に指定され、小丘の麓には顕彰碑が立っています。太古からの原生林の姿を残し、かすかな木漏れ陽は、訪ねる人を遠く古代に誘います。 鎌倉時代の関白左大臣・一条実経(いちじょうさねつね、1223~84)は、「くもらじな ますみの鏡 かげそふる くずはの宮の 春の夜の月」(続古今和歌集)と詠んでいます。ここからほど近い「市民の森」にある鏡伝池(きょうでんいけ)は、古来観月の名所で、鷹狩りのあと鷹の姿を水面に映すのが慣わしだったといわれています。 | 京阪電車「樟葉駅」より京阪宇治交通バス(5・11・11C・13・13B系統)に乗車し、長沢バス停で下車(乗車時間は約10~15分)。バス停より北西方向へ徒歩約3分。交野天神社内。 |
3 | 牧野の桜(まきののさくら) | 在原業平(ありわらのなりひら)が、惟喬親王(これたかしんのう)とともに渚の院をたずね、咲き誇る桜をみて、「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」(古今和歌集・伊勢物語)と詠み、藤原俊成(としなり)は交野の桜を思って、「またや見む 交野のみ野の桜狩 花の雪散る春のあけぼの」(新古今和歌集)と詠んでいるように、交野ヶ原と呼ばれた枚方・交野地域は、桜の名所として都の貴族たちに親しまれ、歌枕として多くの歌も詠まれました。 桜の名所として枚方八景の一つに選ばれている牧野公園は、桃山時代の華麗な建築を伝える片埜神社の北側にあります。片埜神社の神域は、明治の頃には5ヘクタールほどあり、大阪歯科大学付近の松林はその面影を残しています。戦後、広い神域の一部を市が譲り受けて牧野公園を造成しました。桜の季節には、数十年を経た桜が咲き競い、市民の憩いの広場になっています。 | 京阪電車「牧野駅」より、東へ徒歩約5分 |
4 | 山田池の月(やまだいけのつき) | 大阪府営山田池公園(外部サイト)の中に広がる山田池は、水面の広さが約10ヘクタールと、府下でも有数の大きな池です。その歴史は古く、灌漑(かんがい)用のため池として平安時代につくられました。池のすぐ側では弥生時代から古墳時代の住居跡や土器などが発見されるなど古い土地柄を物語っています。 戦前は万を超える鴨の大群が舞い降りたといい、数が少なくなった今でも各種の水鳥を見ることができます。池の周囲には深い木立や竹林、草原があり、咲き誇る花しょうぶや池に浸かる緑樹の枝など、変化に富んだ景色を楽しめます。また、複雑な地勢の起伏が手伝って、周りの喧騒をさえぎり、静寂を保っています。満々と水をたたえる水面に映る月は、また格別の趣があります。一年を通じて花が咲き、市民の憩いの場所であり、風雅と自然を楽しむ場にもなっています | 京阪電車「枚方市駅」北口より京阪バスに乗車し(18・19・20・25・26・27・29系統。乗車時間は約15~20分)、またはJR学研都市線「長尾駅」より京阪バスに乗車し(20・21・25・26・27・29系統。乗車時間は約10~15分)、出屋敷バス停で下車。バス停より徒歩約2分。JR片町(学研都市)線「藤阪駅」からは、北西方向へ徒歩約15分。 |
5 | 国見山の展望(くにみやまのてんぼう) | 国見山は標高およそ300メートル。山頂からは、木津川・宇治川・桂川の合流地点を隔てて広がる京都の市街や、その向こうに比良・比叡のひときわ高い山容を望むことができます。また、石清水鳩ケ峰(はとがみね)と天王山の狭間から淀川が南流して、摂津と河内を二分する様子を見ることもできます。見晴らしのよい日には六甲山や白く光る大阪湾が見え、大阪平野を渡って来る涼風は、汗ばんだ肌に快く感じます。 穂谷方面へと続く道の先には、市立野外活動センターがあり、途中から白旗池(しらはたいけ)や交野山(こうのさん)、くろんど池方面へのハイキングコースとなっています。津田方面からは、よく整備された登山道があり、途中、山桜を見上げる絶好の位置にウッドデッキが設置されており、森林浴を楽しむことができます。 | JR片町(学研都市)線「津田駅」下車。山頂まで徒歩約1時間。 |
6 | 百済寺跡の松風(くだらじあとのしょうふう) | 中宮にある特別史跡百済寺跡は、8世紀後半に百済王の末裔である百済王氏(くだらのこにきしし)が、難波からこの地に移り、一族の氏寺として建立した寺跡と考えられています。昭和16年に国の史跡に指定され、昭和27年3月に特別史跡となりました。府下で大坂城跡とならぶ特別史跡でありながら、老松や雑木が繁って立ち入る人もなく、熊笹の合間に礎石が見られる荒廃ぶりでしたが、全国でも初めての史跡公園として、昭和41年から2年間かけて市民の憩いの広場に整備されました。 寺院の遺構が復原された公園には、礎石などがよく残り、双塔式の美しい伽藍配置を浮き立たせ、金堂にとりつく回廊跡には灌木が植えられ、四季折々の風情が訪ねる人に潤いを与えてくれます。自然の老松や補植された黒松・赤松が濃い緑で遺構を包んでおり、松の梢をわたる風は、訪れる人々に、ありし日の七堂伽藍の面影を語りかけるようです。平成17年度から百済寺跡再整備のための発掘調査が行われ、官寺的施設を備えた格式高い寺であることがわかってきました。 | 京阪電車「枚方市駅」南口より京阪バスに乗車し(61・62・63・64・65・68・70・71・72・78系統。乗車時間は約7~10分)、中宮バス停で下車。バス停より徒歩約1分。京阪電車交野線「宮之阪駅」からは、徒歩約7分。 |
7 | 万年寺山の緑陰(まんねんじやまのりょくいん) | 淀川沿いに細長くのびる旧枚方宿の町並みを眼下に見おろし、こんもりと突き出た丘が万年寺山です。摂津・丹波の山々や、豊かな淀川を一望に見渡せる風光明媚なこの丘は、京阪二都のちょうど中間にあり、数々の歴史の舞台となってきました。この丘の上にある意賀美(おかみ)神社の境内には、古墳時代前期の万年寺山古墳があり、青銅鏡が八面出土しました。 言い伝えによると、推古天皇(592~628)の時代、高麗(高句麗)の僧・恵灌(けいかん)が、この地の風景を愛で、眺めが唐の林岸江(りんがんこう)に似ているとして、草庵を営んだのが万年寺のはじまりです。一千年余の法灯を伝え、夕暮れを告げる晩鐘は人々に親しまれてきましたが、明治の神仏分離令により廃寺となり、仏像等は三矢(みつや)の浄念寺に移されました。参道の石段横には、今も「長松山萬年寺」と刻んだ石柱や十三重の石塔が苔むしており、往時をしのばせてくれます。近年、境内に植えられた多くの紅白梅が大きくなり、観梅の名所になっています。梅林の西にある豊臣秀吉の御茶屋御殿跡は、展望広場として整備された眺望の素晴らしいところです。 | 京阪電車「枚方市駅」より、南西方向へ徒歩約15分。 |
8 | 香里団地の並木(こうりだんちのなみき) | 緑の丘陵と田畑が、昭和14年に東京第二陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)香里製造所となり、戦後の昭和32年、日本住宅公団によってニュータウンが計画され、現在の香里団地に姿を変えました。それから長い年月が経ち、街路樹は昔から生えていたかのように太く健やかに育ち、枝葉を空に張るようになりました。中でも「けやき通り」に植えられたケヤキ並木は、大通りを左右からはさんで空を覆うほどに茂りました。春は萌えたつ若葉の色、秋は紅葉して青空に映え、晩秋ともなれば木枯らしに枯葉が一斉に流れるように散って歩道を埋めます。 また、開成小学校の東側にはトウカエデの木立が秋の夕陽に照らされ朱色に映え、正門前に一列に並ぶ南京櫨(なんきんはぜ)はまるでろう細工のように夕陽に透けています。「いちょう通り」をはさむイチョウ並木は、秋を彩ります。香里団地はすべてが現代的に造られた街ですが、今や年輪を重ねた落着きを見せています。 | 京阪電車「枚方市駅」南口より京阪バスに乗車し(1・2・3・6・8・9A・10・43・43A系統。乗車時間は約10~15分)、藤田川バス停で下車。 |