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神奈川県から提供されたデータセットで、横浜国道事務所が発行しているる「てくてく 東海道 宿場探訪マップ」をオープンデータ化したものです。 神奈川県内の旧東海道沿いの史跡等のデータ157件が含まれています。 - 名称、住所、説明文 - 緯度・経度 - ホームページURL - DBpediaリソースURI
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TekuTeku_Kawasaki_01 六郷の渡し 慶長5年(1600年)、六郷川(多摩川)に六郷大橋がかけられましたが、貞享5年(1688年)に大洪水で流されて以来、明治7年(1874年)まで、渡し舟による渡河が続けられました。明治元年(1868年)、明治天皇の東幸の際には、舟橋を架けました。また、ここは長十郎梨のふるさとといわれています。 35.53597115 139.7085183
TekuTeku_Kawasaki_02 万年屋跡 奈良茶飯が名物だった往時の河崎万年屋の賑わいは『江戸名所図会』にも描かれています。 35.53555844 139.7077933 http://ja.dbpedia.org/resource/万年屋
TekuTeku_Kawasaki_03 川崎稲荷社 社殿の下にはいわれのあるケヤキの大木が眠っているといわれています。昔、ケヤキの大木を切ったところ、ケガ人が相次いだので、そのお祓いのために切り株の上に社殿が建てられたといわれています。享保元年(1716年)、徳川吉宗が八代将軍となるために江戸へ向かう途中、立ち寄りました。 35.535067 139.705789
TekuTeku_Kawasaki_04 田中本陣跡 当主の休愚(兵庫)は、六郷川の渡し舟の権利を譲り受け、その渡し賃を得て、傾いていた宿場財政を再建しました。享保6年(1721年)著した『民間省要』は、享保7年(1722年)八代将軍吉宗へ献上され、主張の一部は享保の改革でも取り上げられました。 35.53376005 139.7046016
TekuTeku_Kawasaki_05 一行寺 神奈川県川崎市川崎区本町1-1-5 川崎宿の整備が進む頃に開創し、闇魔信仰で大いに賑わいました。 35.53351906 139.702114 http://www.ichigyo-ji.com/
TekuTeku_Kawasaki_06 宗三寺 神奈川県川崎市川崎区砂子1-4-3 宿内一の古剰。後北条氏の家臣であった間宮豊前守信盛が中興、その法名から宗三寺と名づけられました。 35.53273863 139.7016485
TekuTeku_Kawasaki_07 稲毛神社 神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7 境内には樹齢一千年といわれる大銀杏や小土呂橋遺構、手洗石など川崎宿にまつわるものや、正岡子規、佐藤惣之助の歌碑などがあります。 35.531029 139.704592 http://takemikatsuchi.net/ http://ja.dbpedia.org/resource/稲毛神社
TekuTeku_Kawasaki_08 佐藤本陣跡 宿内の本陣の一つで、十四代将軍家茂が上京の際、宿泊したといわれています。詩人、佐藤惣之助の生家でもあります。 35.53014427 139.7009053
TekuTeku_Kawasaki_09 妙遠寺 神奈川県川崎市川崎区宮前町6-5 二ケ領用水を完成させた小泉次大夫と二ケ領用水を再興した中興の祖・田中休愚(兵庫)の偉業を称える「泉田二君功徳碑」があります。 35.527466 139.705091 http://myouonji.net/
TekuTeku_Kawasaki_10 小土呂橋の親柱 かつて、東海道と新川堀の交差地点にあった石橋が小土呂橋。現在は暗きょとなっており、地名とこの親柱が残っています。 35.52810173 139.6999774
TekuTeku_Kawasaki_11 熊野神社 神奈川県川崎市川崎区市場東中町9-21 徳川家康入国に際し、武運を祈った神社。社殿は赤穂義士ゆかりの宮大工、渡辺喜右衛門及びその子孫により造営されました。境内には江戸時代の俳人加舎白雄と大島蓼太が、鶴見橋を詠んだ句碑があります。 35.519773 139.685892
TekuTeku_Kawasaki_12 専念寺 神奈川県横浜市鶴見区市場東中町3-18 紫式部の念持仏と伝えられる「市場観音」が奉られています。富士山から飛んできたといわれる「夜光石」「お乳石」でも有名です。 35.51814185 139.6864142 http://www.cmacs.jp/32314/sennenji/
TekuTeku_Kawasaki_13 市場一里塚 日本橋から5番目のもの。一里塚は街道をはさんだ両側にありますが、ここは南側の塚だけが残されています。 35.51753426 139.6842345
TekuTeku_Kawasaki_14 鶴見橋関門旧跡 安政6年(1859年)の横浜開港後、外国人に危害を加えることを防ぐため横浜への主要道路筋に設けられた関門の一つで、万延元年(1860年)に設けられました。 35.51357288 139.6806147
TekuTeku_Kawasaki_15 鶴見神社 神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央1-14-1 推古天皇時代の創建と伝えられ、昔は杉山大明神とも呼ばれていました。毎年、4月29日に民俗芸能「鶴見の田祭り」が行われます。 35.511019 139.677363 http://www18.ocn.ne.jp/~tsurujin/ http://ja.dbpedia.org/resource/鶴見神社_(横浜市)
TekuTeku_Kawasaki_16 總持寺 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1 曹洞宗の大本山。明治44年(1911年)に石川県の能登から移転しました。広くてなだらかな敷地内には20以上の建造物が立ち並ぶ大伽藍があり、散策にも最適。大スター・石原裕次郎の墓もあります。 35.506992 139.66996 http://www.sojiji.jp/ http://ja.dbpedia.org/resource/總持寺
TekuTeku_Kawasaki_17 東福寺 神奈川県横浜市鶴見区鶴見1-3-5 子育て観音として、著名な寺です。寺の一角に、芭蕉の句碑も残されています。 35.5026595 139.6705997
TekuTeku_Kanagawa_01 長延寺・見附跡(オランダ領事館跡) 昭和39年に移転するまで、ここに長延寺が建っていました。開港当時、オランダ領事館にあてられました。このあたりは、神奈川宿への江戸からの入口にあたります。現在は公園になっています。 35.48175291 139.6408839
TekuTeku_Kanagawa_02 笠のぎ稲荷神社 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川2-9-1 笠をかぶった人がこの神社の前を通ると、自然と笠が脱げてお参りをしたそうです。そのため笠脱稲荷と呼ばれるようになりました。その後、「笠脱」を「笠のぎ」に改めたといわれています。 35.48027211 139.6377309
TekuTeku_Kanagawa_03 能満寺 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川2-32-1 鎌倉時代の創立とされています。この地の漁師が、海中から虚空蔵菩薩を拾い上げ、これを祀ったと伝えられています。 35.47892899 139.6371059 http://www.yokohama-noumangi.com/
TekuTeku_Kanagawa_04 東光寺 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川2-37-6 太田道灌の和歌「海山をへだつ東のお国より、放つ光はここもかわらじ」が寺号の由来だと伝えられています。 35.47688557 139.635574
TekuTeku_Kanagawa_05 金蔵院 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-4-3 金蔵院は、京都醍醐寺三宝院の開祖勝覚僧正により平安末期に創られた古刹です。徳川家康から十石の朱印を許されました。 35.47615471 139.6335526
TekuTeku_Kanagawa_06 熊野神社 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-1-3 平安時代に紀伊の熊野権現を招いたといわれる神社。江戸後期には、社殿の脇で神楽が舞われたり、御輿がかつがれたりと夜宮祭礼で賑わいました。 35.47562662 139.634046
TekuTeku_Kanagawa_07 成仏寺 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町10-10 開港当時、「ヘボン式ローマ字」で知られ、日本で最初の和英辞典を刊行したアメリ力人宣教師で医者でもあったヘポン博士の宿舎であった寺です。本堂の前には美しい庭が広がります。 35.47475887 139.6318363 http://ja.dbpedia.org/resource/成仏寺_(横浜市)
TekuTeku_Kanagawa_08 高札場の復元 幕府の法度や掟の書かれた札を掲げた場所が高札場です。神奈川宿では滝の川の左岸にありました。資料をもとに復元した当時の高札場を神奈川地区センター前で見ることができます。 35.47499903 139.6329981
TekuTeku_Kanagawa_09 慶運寺(フランス領事館跡) 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町18-2 浦島伝説ゆかりのものが多数あることから、浦島寺とも呼ばれます。その中には、浦烏太郎が竜宮からもちかえったという観音像も含まれています。 35.47520994 139.6313421
TekuTeku_Kanagawa_10 神奈川台場跡 伊予松山藩が勝海舟の技術指導を受け、完成させた開港当時の砲台跡です。現在は周囲が埋め立てられ、陸続きとなっていますが、当時は稜堡のような形で海に突き出ていました。 35.47062168 139.6349956 http://ja.dbpedia.org/resource/神奈川台場
TekuTeku_Kanagawa_11 宗興寺 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷10-6 開港当時、アメリカ人宣教師で医者であったヘボン博士が、ここに施療所を開いていました。境内には、お天気井戸と呼ばれる大井戸があります。 35.47242923 139.6312845
TekuTeku_Kanagawa_12 普門寺 神奈川県横浜市神奈川区青木町3-18 開港当時、イギリスの士官宿舎にあてられていました。 35.47121188 139.6284848
TekuTeku_Kanagawa_13 甚行寺 神奈川県横浜市神奈川区青木町3-10 開港当時、一時フランス公使館にあてられていました。 35.47116525 139.6278189
TekuTeku_Kanagawa_14 本覚寺(アメリカ領事館跡) 神奈川県横浜市神奈川区高島台1-2 開港当時はアメリカ領事館にあてられました。日米修好通商条約でアメリカ公使ハリスとの交渉にあたった全権委員の一人岩瀬忠震の顕彰碑が山門の脇に建てられています。 35.47208556 139.6265149 http://www.hongakuzenji.jp/ http://ja.dbpedia.org/resource/本覚寺_(横浜市)
TekuTeku_Kanagawa_15 三宝寺 神奈川県横浜市神奈川区台町7-1 幕末明治初期にかけて住職であった大熊弁玉は、歌人としても知られ文明開化の新事物を詠いました。 35.47111956 139.6253691
TekuTeku_Kanagawa_16 大綱金刀比羅神社/一里塚跡 神奈川県横浜市神奈川区台町7-34 江戸時代、この神社は神奈川湊に関わる人々の厚い信仰を受けていました。神奈川宿の一里塚は日本橋より7つ目の塚で、江戸時代にはこの神社のすぐ脇、街道をはさんだ両側にありました。 35.47103541 139.624932 http://www.yokohamakonpira.jp/
TekuTeku_Kanagawa_17 関門の碑 開港後、外国人が相次いで殺傷されたため、各国領事の強い要望で横浜周辺に設けられたのが、関所である関門です。神奈川宿でも東西の2箇所につくられ、厳しい警護体制がしかれました。碑が残されているのは、西側・神奈川台の関門です。 35.47029952 139.6219289
TekuTeku_Kanagawa_18 浅間神社 神奈川県横浜市西区浅間町1-19-10 浅間社(現浅間神社)は、神奈川宿の西隣である芝生(しぼう)村の入口に建っています。神社には、「富士の人穴」と呼ばれる名所があり、すでに17世紀中頃の東海道名所記にその名が見えます。 35.46544361 139.6107382 http://ja.dbpedia.org/resource/浅間神社_(横浜市西区)
TekuTeku_Hodogaya_01 橘樹神社 神奈川県横浜市保土ヶ谷区天王町1-8-12 昔からの地域の氏神で、人々に「お天王様」といって崇められていました。境内には、横浜市内最古といわれる庚申塔があります。 35.455574 139.603591 http://ja.dbpedia.org/resource/橘樹神社_(横浜市)
TekuTeku_Hodogaya_02 旧帷子橋跡 安藤広重の浮世絵で新町橋として有名。河川改修により川の流れが変わったため、天王町駅前公園内にモニュメントとして残されています。 35.45348419 139.6029049
TekuTeku_Hodogaya_03 香象院 神奈川県横浜市保土ヶ谷区岩間町2-153 江戸時代末期、保土ヶ谷で最も大きい寺子屋があり、明治6年(1873年)に保土ヶ谷小学校の分校となりました。 35.45110979 139.6005334
TekuTeku_Hodogaya_04 神明社 神奈川県横浜市保土ヶ谷区神戸町107 天禄元年(970年)の創建と伝えられ、その後、裏山から現在の場所へ移動しました。伊勢神宮の御領地として寄進され「榛谷御厨(はんがやみくりや)」と呼ばれました。この「はんがや」が「ほどがや」の地名の由来ともされています。 35.45263073 139.5981766 http://www.shinmeisya.or.jp/ http://ja.dbpedia.org/resource/神明社_(横浜市保土ケ谷区)
TekuTeku_Hodogaya_05 大蓮寺 神奈川県横浜市保土ヶ谷区神戸町98 徳川家康の側室「お万の方」お手植えといわれるざくろの木があります。 35.45029905 139.5984032
TekuTeku_Hodogaya_06 遍照寺 神奈川県横浜市保土ヶ谷区月見台38-31 本尊の薬師如来坐像は、京都仁和寺喜多院の本尊と同木、同作の尊像と伝えられています。また、江戸時代の狂歌師朱楽菅江の「念仏百万遍供養塔」があります。(文化6年(1809年)建立) 35.449526 139.598447
TekuTeku_Hodogaya_07 金沢横丁道標 金沢・鎌倉へ行く分岐点。「円海山之道」をはじめ、其爪の句碑があります。 35.44541544 139.5966945
TekuTeku_Hodogaya_08 御所台の井戸 鎌倉への道中、北条政子がこの井戸の水を飲み、休んだとされており、明治天皇が本陣でご休憩された際にもこの井戸の水が使われたといわれています。 35.44341768 139.5983206
TekuTeku_Hodogaya_09 北向地蔵 金沢道の道しるべを兼ねて北向きに建立されたといわれる地蔵尊です。 35.44113498 139.5991991
TekuTeku_Hodogaya_10 本陣跡 本陣は代々苅部家(明治初年に軽部家に改姓)がつとめました。現在は当時を偲ばせる通用門や土蔵が残っています。 35.44396111 139.5954274
TekuTeku_Hodogaya_11 大仙寺 神奈川県横浜市保土ヶ谷区霞台15-16 創建は平安中期と伝えられ、本陣を勤めた軽部家の菩提寺であり、保土ヶ谷区内で最も古い寺のひとつです。 35.445501 139.594021
TekuTeku_Hodogaya_12 旅籠本金子屋跡 明治2年(1869年)に建てなおされましたが、江戸時代の旅籠のたたずまいをしのばせる建物です。 35.44441026 139.593046
TekuTeku_Hodogaya_13 外川神社 神奈川県横浜市保土ヶ谷区瀬戸ケ谷町196-1 「お仙人様」の名で親しまれ、子供の虫封じに効き目があるといわれています。 35.44493588 139.5894382
TekuTeku_Hodogaya_14 松並木 平成18年12月、市民と行政の協働で、黒松32本が植樹され、松並木がよみがえりました。この付近には一里塚と上方見附があったことから、一里塚のミニチュアも復元されています。 35.44514411 139.5897981
TekuTeku_Hodogaya_15 樹源寺 神奈川県横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町3-172 鎌倉時代に建てられた医王寺が焼失した後、江戸時代初期に軽部家により身延山久遠寺の末寺として開山されました。 35.44625427 139.5833172 http://jyugenji.com/
TekuTeku_Hodogaya_16 帝釈天堂 お堂の中に「庚申講」や「地神講」の祭事に使われた掛け軸が祀られています。また、堂外には多くの石仏、石塔が安置されています。 35.44613103 139.5818708
TekuTeku_Hodogaya_17 武相国境モニュメント この地が武蔵国と相模国の境であり、昔は木の杭が立てられていたので境木といいます。このモニュメントは平成17年に設置されました。 35.43670108 139.5668993
TekuTeku_Hodogaya_18 境木地蔵尊 万治2年(1659年)の建立といわれ、江戸からの講中や道中の安全を祈る旅人が多く参拝しました。現在のお堂は関東大震災後に再建されました。 35.43696522 139.5669053 http://ja.dbpedia.org/resource/境木地蔵
TekuTeku_Totsuka_01 萩原代官屋敷跡 萩原家は代々旗本杉浦氏の代官をつとめ、幕末にはこの場所に道場を開きました。現在は武家屋敷門と蔵が残っています。 35.43552564 139.5676647
TekuTeku_Totsuka_02 品濃一里塚 県内でほぼ完全な形で残っている、唯一の一里塚。 35.43247245 139.5645144
TekuTeku_Totsuka_03 王子神社 神奈川県横浜市戸塚区柏尾町939 護良親王は後醍醐天皇の皇子でその御首が本殿の下に葬られたという伝説があります。 35.41593068 139.5464662
TekuTeku_Totsuka_04 大山道道標 大山道は各地と大山を結ぶ道で、江戸時代に大山詣をする人で賑わいました。国道1号不動坂交差点に近いこの地は、当時の大山道への入口となった場所です。 35.41521687 139.5430211
TekuTeku_Totsuka_05 護良親王首洗井戸 護良親王の御首を洗ったといわれる井戸です。 35.41396845 139.5436903
TekuTeku_Totsuka_06 五太夫橋 小田原北条氏の家臣であった石巻五太夫が、小田原北条氏滅亡後に江戸へ移る徳川家康をこのあたりで出迎えたことから名付けられたと伝えられています。 35.41075635 139.5398751
TekuTeku_Totsuka_07 宝蔵院 神奈川県横浜市戸塚区吉田町935 本尊は不動明王。木食観正(もくじきかんしょう)碑や徳本上人名号碑などがあります。 35.40949473 139.5402028 http://hozoin.com/
TekuTeku_Totsuka_08 大橋 歌川広重が描いた『東海道五十三次戸塚』は、この大橋のたもとです。昭和61年に改修。大名行列が持つ長柄のバレンを模した街灯や橋の両側の4枚の浮世絵の模写など、東海道をイメージした橋です。 35.405691 139.536927
TekuTeku_Totsuka_09 善了寺 神奈川県横浜市戸塚区矢部町125 モダンな本堂と歴史ある浄土真宗本願寺派のお寺です。明治には、自由民権運動の仲間が坂の道をあがってきたことがあるとか。正面に親鸞聖人像があります。 35.40397887 139.5362605 http://www.zenryouji.jp/
TekuTeku_Totsuka_10 清源院・芭蕉句碑 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4907 徳川家康の死後、側室であった「お万の方」が尼となり、当寺に入りました。境内には芭蕉句碑など貴重な碑が数多く残っています。 35.40190826 139.5318653
TekuTeku_Totsuka_11 澤邊本陣跡 戸塚宿開設に尽力した澤邊家が勤めた本陣跡。街道に沿って、明治天皇行在所の碑が建っています。 35.3976211 139.5305318
TekuTeku_Totsuka_12 海蔵院 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4213 墓地には俳人で有名な志行の墓があります。 35.396863 139.529659 http://www.e-oterasan.net/
TekuTeku_Totsuka_13 八坂神社 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4168 通称「お天王さま」と呼び親しまれている神社。境内には明治天皇東幸碑などがあります。横浜市指定無形民俗文化財「お札まき」が有名。 35.39525996 139.5297514
TekuTeku_Totsuka_14 冨塚八幡宮・芭蕉句碑 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町3827 源頼義・義家父子が社殿を創建したと伝えられ、戸塚の総鎮守となっています。山頂の古墳を冨塚と呼び、戸塚の地名の起こりの一つに数えられています。 35.393658 139.528666 http://www1.ttmy.ne.jp/tomiduka/ http://ja.dbpedia.org/resource/富塚八幡宮
TekuTeku_Totsuka_15 浅間神社 神奈川県横浜市戸塚区原宿3-17-8 鳥居横や境内には庚申塔や富士講碑があります。 35.38058142 139.5113378
TekuTeku_Fujisawa_01 遊行寺 神奈川県藤沢市西富1-8-1 鎌倉時代後期、四代呑海(どんかい)上人が開山され代々藤沢上人が住んでいました。戦国期には焼失し江戸時代になって時宗総本山となりました。 35.348424 139.488648 http://www.jishu.or.jp/ http://ja.dbpedia.org/resource/清浄光寺
TekuTeku_Fujisawa_02 諏訪神社 神奈川県藤沢市大鋸3-7-2 遊行寺を創建した呑海上人が諸国遊行の際に信州諏訪から勧請した鎮守の社。祭礼で演奏される西富ばやしは市指定無形民俗文化財です。 35.34831 139.489742 http://ja.dbpedia.org/resource/諏訪神社_(藤沢市大鋸)
TekuTeku_Fujisawa_03 遊行寺橋 歌川広重の浮世絵でしられる藤沢宿の風景にある橋(当時、大鋸橋)が、この位置です。江ノ島道一の鳥居がこの写真の手前左側にありました。 35.346293 139.486711
TekuTeku_Fujisawa_04 小川泰堂笑宿庵跡 江戸時代後期の知識人、小川泰堂は16歳で、藤沢の郷土史『我棲里(わがすむさと)』を著し、また医業のかたわら晩年、この庵で日蓮聖人の『高祖遺文録・日蓮大士真実伝』の労作を残しました。 35.34673198 139.4833882
TekuTeku_Fujisawa_05 常光寺 神奈川県藤沢市本町4-5-21 山門の脇には藤沢警察署発祥の地の石碑、本堂左手には国際的詩人の野口米次郎の記念墓碑、裏山には弁慶塚が庚申塔とともにあります。境内の樹林は藤沢市指定の天然記念物となっており、中でも高さ25メートルで樹齢300~400年のカヤの巨木は見ものです。 35.34692307 139.4814485 http://ja.dbpedia.org/resource/常光寺_(藤沢市)
TekuTeku_Fujisawa_06 荘厳寺 神奈川県藤沢市本町4-6-12 寺伝では創建元暦元年(1184年)と伝えられ、藤沢宿で古い寺院の一つです。境内には相模国準四国八十八箇所のうち四番と十番の弘法大師像が安置されています。 35.34720276 139.4803679 http://ja.dbpedia.org/resource/荘厳寺_(藤沢市)
TekuTeku_Fujisawa_07 妙善寺 神奈川県藤沢市藤沢1-5-3 宿場有力者の墓地が多く、その中で本陣職を勤めた蒔田家の墓があります。 35.348865 139.481529 http://myouzenji.com/ http://ja.dbpedia.org/resource/妙善寺_(藤沢市)
TekuTeku_Fujisawa_08 源義経首洗い井戸 本町交番の横道を入ると、本町公園の一角にあります。文治5年(1189年)奥州平泉で自害した源義経の首は、腰越の浜で首実検されたといわれています。首は境川を遡り、この井戸で里人により、洗い清められたと伝えられています。 35.34814038 139.4789107
TekuTeku_Fujisawa_09 白旗神社 神奈川県藤沢市藤沢2-4-7 もともとは寒川比古命を祭っていましたが、源義経の霊を弔い、祭神としました。7月の夏祭りは義経・弁慶神輿が練り歩きます。10月の湯立神楽は、藤沢市の無形民俗文化財に指定されています。 35.3504904 139.4786364 http://shirahata-jinja.jp/ http://ja.dbpedia.org/resource/白旗神社_(藤沢市)
TekuTeku_Fujisawa_10 真源寺 神奈川県藤沢市本町3-17-19 本堂右手には時宗遊行上人の無縁塔があります。また相模国準四国八十八箇所の弘法大師像が安置されています。 35.346761 139.476374 http://ja.dbpedia.org/resource/真源寺_(藤沢市)
TekuTeku_Fujisawa_11 本願寺 神奈川県藤沢市稲荷1-2-3 明暦2年(1656年)の創建と伝えられています。山門のそばに双体道祖神塔や馬頭観世音菩薩像などがあります。 35.349841 139.464755 http://ja.dbpedia.org/resource/本願寺_(藤沢市)
TekuTeku_Fujisawa_12 養命寺 神奈川県藤沢市城南4-10-35 御本尊の木造薬師如来坐像は国の重要文化財です。ほかにも日光・月光菩薩像や十二神将など仏像や石造物が数多く残っています。 35.34742345 139.4647841 http://ja.dbpedia.org/resource/養命寺_(藤沢市)
TekuTeku_Fujisawa_13 耕余塾跡 漢学者の小笠原東陽は読書(とくしょ)院を設立し、塾教育を進め、明治10年(1877年)、塾名を耕余塾と改めました。県下有数の中等教育機関で、後の首相吉田茂などを輩出し、現在は勝海舟筆の「小笠原先生碑」が立っています。 35.34428404 139.4595592 http://ja.dbpedia.org/resource/耕余塾
TekuTeku_Fujisawa_14 大山道道標 東海道が藤沢バイパスと合流する地点は四ッ谷といい、立場茶屋がありました。小堂があり石造の不動明王が安置されています。右に大山道の‐の鳥居が立っています。 35.34630804 139.4491739
TekuTeku_Chigasaki_01 千手院 神奈川県茅ヶ崎市代官町1-4 本尊千手観音が有名で、境内には稲荷明神堂が建立されています。浜降祭では御輿が境内を練り浄める祭事も行われています。 35.3376427 139.4334377
TekuTeku_Chigasaki_02 熊野神社 神奈川県茅ヶ崎市小和田2-3-66 旧小和田村の鎮守で、京都の高位の公家が東下り中に菱沼にあった牡丹餅茶屋で休憩し「相模なる小和田の浦の姥島は誰をまつやらひとり寝をする」と詠んだ歌碑があり、姥島(烏帽子岩)の帰属をめぐる伝説が残っています。 35.33972156 139.4319524
TekuTeku_Chigasaki_03 海前寺 神奈川県茅ヶ崎市本村4-21-34 藤沢市大庭・宗賢院の記録では、天正19年(1591年)創建。江戸初期の茅ヶ崎村領主で旗本、丸毛家の菩提寺となりました。 35.337322 139.415021
TekuTeku_Chigasaki_04 円蔵寺 神奈川県茅ヶ崎市十間坂1-3-39 慶安2年(1649年)、徳川家光から朱印状が与えられており、江戸時代には13の末寺を持つ中本山。 35.331734 139.402232
TekuTeku_Chigasaki_05 鶴嶺八幡宮 神奈川県茅ヶ崎市浜之郷462 伝説では平安時代後期に、矢畑に源頼義が創建。その後、現在地に遷座したといわれています。市内最古の神社で、境内にあった佐塚明神社では、江戸時代旧暦6月29日には、南湖の浜へ御輿の浜降りが行われていました。 35.338421 139.391203 http://members.jcom.home.ne.jp/tsurumine1030/ http://ja.dbpedia.org/resource/鶴嶺八幡宮
TekuTeku_Chigasaki_06 梅雲寺 神奈川県茅ヶ崎市下町屋2-14-15 明治19年(1886年)の『皇国地誌』には、慶長4年(1599年)に、寺名の由来となった広誉梅雲という僧が開いたと伝えられています。 35.33372309 139.3863137
TekuTeku_Chigasaki_07 上国寺 神奈川県茅ヶ崎市今宿488 江戸時代の地誌『新編相模国風土記稿』には、鎌倉後期の応永4年(1397年)に没した大乗院日経という僧がこの寺を開いたと記されています。本尊の日蓮上人木像は永正11年(1514年)の銘を持っています。 35.333594 139.381054
TekuTeku_Chigasaki_08 信隆寺 神奈川県茅ヶ崎市今宿841 寛永元年(1624年)、甲斐武田氏の流れを汲む武田信就が先祖の菩提を弔うため創建しました。出家した信就は信隆院日閑と名乗り、寺名としました。寛永元年の銘が刻まれた鰐口が伝わっています。 35.33331265 139.3782084 http://www5e.biglobe.ne.jp/~shinryu/
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