question
|
choice1
|
choice2
|
choice3
|
choice4
|
answerNo
|
answer
|
string
|
string
|
string
|
string
|
string
|
int
|
string
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
1
|
五郎丸町浄覚寺住職で、明治17年京都勧学院、同20年神田英学館で語学を学び、インド欧米を視察した禿了教(とく りょうきょう)が創立した教団は。
|
博愛教団
|
友愛教団
|
仁愛教団
|
恋愛教団
|
3
|
仁愛教団
|
2
|
若泉敬(わかいずみ けい)が密使として、沖縄返還のために尽力したときの総理大臣は。
|
佐藤栄作
|
池田隼人
|
吉田茂
|
鳩山一郎
|
1
|
佐藤栄作
|
3
|
福井で漢学・蘭学を修め幕府の医学所教授となった渡辺洪基(わたなべ こうき)が1883年に就いた役職は。
|
東京都知事
|
福井県知事
|
大阪府知事
|
東京府知事
|
4
|
東京府知事
|
4
|
越前漆器の沈金分野で「由斎彫」を確立した真保由斎(しんぼ ゆうさい)が師事した和田其水はどこの出身か。
|
山中
|
木曽
|
会津
|
輪島
|
4
|
輪島
|
5
|
教育に尽力した鯖江藩第6代藩主間部詮允(まなべ あきざね)が江戸藩邸に建設した施設は。
|
進徳館
|
明倫館
|
惜陰堂
|
弁天堂
|
3
|
惜陰堂
|
6
|
父・禿了教とともに日本道徳会を創設し、女子教育に尽力した禿すみの本名は。
|
幸子
|
真子
|
里子
|
愛子
|
2
|
真子
|
7
|
第1回市民文化賞受賞者は誰か。
|
斎藤優
|
真保由太郎
|
大村武士
|
福島徳門
|
1
|
斎藤優(さいとう まさる)
|
8
|
吉江藩ただ一人の藩主は誰か。
|
松平忠直
|
松平昌親
|
結城秀康
|
間部詮勝
|
2
|
松平昌親(まつだいら まさちか)
|
9
|
新交響楽団(現N響)の創立に参画した棚池慶助(たないけ けいすけ)は何の奏者か。
|
チェロ
|
ピアノ
|
バイオリン
|
クラリネット
|
3
|
バイオリン
|
10
|
1980年に日本芸術院賞を受賞した洋画家の西山真一が発表の場としていた展覧会は。
|
二科展
|
帝展
|
国展
|
千寿展
|
2
|
帝展
|
11
|
美濃国に赴いて織物業を視察し、その技術を学んだ高島善左衛門が始めた織物は。
|
羽二重
|
人絹
|
西陣織
|
石田縞
|
4
|
石田縞
|
12
|
京都府で日本初の中学校校長になったのは誰か。
|
今立吐酔
|
青木豊市
|
境口永信
|
渡辺巌
|
1
|
今立吐酔(いまだて とすい)
|
13
|
河和田村村長、郡会議員を歴任した岩田幸七郎が明治27年に創設した団体は。
|
日本漆工会
|
軒下工房
|
越前漆器協同組合
|
日本漆連合会
|
1
|
日本漆工会
|
14
|
眼鏡事業創業の一人で、増永五左衛門の従兄弟にあたる人は。
|
大内義隆
|
大久保彦左衛門
|
朝倉松五郎
|
青山彦左衛門
|
4
|
青山彦左衛門
|
15
|
昭和16年7月に、小泉親彦(こいずみ ちかひこ)が厚生大臣になっているが、その時の総理大臣は。
|
近衛文麿
|
小泉純一郎
|
東條英機
|
岡田啓介
|
1
|
近衛文麿
|
16
|
本家とともに酒造業を営んでいた畑彦兵衛(はた ひこべえ)が、紛争解決に尽力した用水の名は。
|
八ケ用水
|
日野川用水
|
穴田川用水
|
松ケ鼻用水
|
3
|
穴田川用水
|
17
|
明治期、養蚕の発展に貢献した松永伍作の碑がある京都の神社は。
|
平安神社
|
北野天満宮
|
八坂神社
|
下鴨神社
|
2
|
北野天満宮
|
18
|
立待小学校の校歌を作詞した岡井慎吾が、文学博士の学位を得た研究は何か。
|
玉篇の研究
|
方言の研究
|
偉人の研究
|
古文の研究
|
1
|
玉篇(ぎょくへん)の研究
|
19
|
慶応大学経済科を卒業した牧野亀次郎が、昭和16年に社長に就任した保険会社は。
|
住友生命
|
安田生命
|
日本生命
|
明治生命
|
4
|
明治生命
|
20
|
1万石以上の譜代大名が任命される役職で、鯖江藩第7代藩主間部詮勝が初めて幕政に関与することになった役職は。
|
老中
|
奏者番
|
大坂城代
|
京都所司代
|
2
|
奏者番
|
21
|
明治37年『北日本』発刊に尽力した吉田円助(よしだ えんすけ)が、総選挙時に所属していた政党は。
|
自民党
|
社会党
|
保守党
|
国民党
|
4
|
国民党
|
22
|
敬神思想の普及に努力した有徳の士、細井盤司(ほそい ばんじ)が神官を務め、国の重要文化財にも指定されている「追儺面」で有名な神社は。
|
加多志波神社
|
神明神社
|
春日神社
|
舟津神社
|
1
|
加多志波神社
|
23
|
町村制により誕生した初代鯖江町長は誰か。
|
間部詮道
|
若泉新一
|
間部東斎
|
福島宜三
|
3
|
間部東斎(まなべ とうさい)
|
24
|
代々庄屋を務め、県議会議員として県政発展に貢献した斎藤與二郎(さいとう よじろう)はどこの初代村長であったか。
|
横江村
|
舟津村
|
宮前村
|
深江村
|
2
|
舟津村
|
25
|
初代新横江村村長の三田村八高(みたむら はちこう)が頭取を務め、後に福井銀行と合併した銀行名は。
|
産業銀行
|
農業銀行
|
工業銀行
|
商業銀行
|
4
|
商業銀行
|
26
|
清水此吉が初代校長である神明小学校は、通明小学校とどこが合併してできたか。
|
合智小学校
|
烏ケ森小学校
|
水落小学校
|
三六小学校
|
1
|
合智小学校
|
27
|
第1回衆議院議員選挙で当選した永田定右衛門(ながた さだうえもん)は、党の発展に尽力したが、その時の党の中心的人物は。たか。
|
大隈重信
|
伊藤博文
|
山縣有朋
|
板垣退助
|
4
|
板垣退助
|
28
|
鯖江藩で藩医として活躍した西島家の墓石があるお寺はどこか。
|
西光寺
|
誠照寺
|
西福寺
|
萬慶寺
|
3
|
西福寺
|
29
|
鯖江藩の藩医の西島俊庵(にしじま しゅんあん)が師事した小浜藩の藩医は誰か。
|
大槻玄沢
|
杉田玄白
|
前野良沢
|
平賀源内
|
2
|
杉田玄白
|
30
|
明治43年に力織機を考案して販売した山田仙之助が第2次世界大戦中に献納した物は何か。
|
羽二重織物
|
戦闘機
|
米
|
土地
|
2
|
戦闘機
|
31
|
日本画家で第5代北中山村長であった田中孫兵衛の号は。
|
東翠
|
西翠
|
南翠
|
北翠
|
3
|
南翠
|
32
|
歴史学者が国文学の分野に踏み込んだ、先駆的研究として高く評価された赤木志津子の作品は。
|
紫式部とその時代
|
清少納言の生き方
|
平安時代の女性たち
|
文豪近松門左衛門
|
1
|
紫式部とその時代
|
33
|
豊村初代村長の丹尾頼馬(にお たのま)が慶応義塾で指導を受けた相手は誰か。
|
浜野定四郎
|
北里柴三郎
|
緒方洪庵
|
福沢諭吉
|
4
|
福沢諭吉
|
34
|
県議会議長時代に戸口トンネルの開通に尽力した人は誰か。
|
山本治
|
揚原新十郎
|
福島文右衛門
|
若泉新一
|
2
|
揚原新十郎
|
35
|
世界恐慌時に、外務省の嘱託として日印会商に参加し、インドとの通商再開に成功した人物は誰か。
|
渡辺源兵衛
|
竹下円右衛門
|
高島茂平
|
竹下源次郎
|
4
|
竹下源次郎
|
36
|
1934年岡田内閣の秘書官になった福田耕(ふくだ たがやす)が、二・二六事件で首相を隠したお寺の名前は何か。
|
浅草寺
|
増上寺
|
真正寺
|
泉岳寺
|
3
|
真正寺
|
37
|
立待村長で、石田縞の増産を図った大橋庄右ヱ門(おおはし しょううえもん)が移転に尽力したのはどれか。
|
小学校
|
中学校
|
役場
|
西光寺
|
1
|
小学校
|
38
|
病床にあって死後の献体を申し出たことにより、明治9年鯖江で初めて献体が行われた。この人物は誰か。
|
清水九十郎
|
板田孫兵衛
|
青木嘉七
|
瓜生守也
|
2
|
板田孫兵衛(はんだ まごべえ)
|
39
|
県議会議員時代に県産婆看護婦養成事業を推進した伯治門(はく じもん)が、中野の耕地整理を造成した面積は。
|
15町歩
|
105町歩
|
1,000町歩
|
5,000町歩
|
2
|
105町歩
|
40
|
小泉了諦の弟で、本山誠照寺派法林寺に生まれた朝倉了昌が住職になった、当時加賀一国屈指の大坊と言われた金沢のお寺の名前は。
|
忍者寺
|
伏見寺
|
瑞源寺
|
長徳寺
|
4
|
長徳寺
|
41
|
昭和8年『福井県生物目録』植物之部を担当した堀芳孝が初代館長になった昭和27年開館の施設名は。
|
福井県立歴史博物館
|
福井市立郷土自然科学博物館
|
福井市おさごえ民家園
|
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
|
2
|
福井市立郷土自然科学博物館
|
42
|
大郷浩斎(おおさと・おおごう こうさい)の兄で天才的画家といわれた須子焦石(すこ しょうせき)の代表作で、長泉寺町の西福寺にあるものは何か。
|
屏風
|
天井絵
|
掛け軸
|
壁画
|
1
|
屏風
|
43
|
戦前、鯖江女子師範(現在の鯖江高校)で博物学を教えた、窪田彦左衛門(2代)は何の研究家として著名か。
|
魚類
|
鳥類
|
貝類
|
爬虫類
|
3
|
貝類
|
44
|
初代福井藩主の時から始められ、2代藩主松平忠直が奉行渡辺長久(わたなべ ながひさ)らとともに、力を入れたのは、どこの原野の開拓事業か。
|
石田野
|
杉本野
|
田所野
|
鳥羽野
|
4
|
鳥羽野
|
45
|
鯖江藩士の家に生まれた矢代操(やしろ みさお)が、仲間と創設した学校は何か。
|
早稲田法律学校
|
中央法律学校
|
慶応法律学校
|
明治法律学校
|
4
|
明治法律学校
|
46
|
電力事業に尽力した桑原甚六が、明治41年に設立発起人の一人となって設立した会社名は。
|
北陸電気㈱
|
福井電気㈱
|
越前電気㈱
|
朝日電気㈱
|
3
|
越前電気㈱
|
47
|
医業のかたわら幼児教育にも尽力した古川田溝(ふるかわ でんこう)は、どこの団体の幼稚園の園主になったか。
|
鯖江つつじ婦人会
|
鯖江白菊婦人会
|
鯖江桜婦人会
|
鯖江菜の花婦人会
|
2
|
鯖江白菊婦人会
|
48
|
鯖江藩第7代藩主間部詮勝は、歴代藩主で最も長く藩主を務めているが、その期間は何年間か。
|
55年間
|
38年間
|
24年間
|
49年間
|
4
|
49年間
|
49
|
福島文右衛門らが創立した鯖浦電気鉄道㈱が、大正15年に開通させた区間は鯖江とどこの間か。
|
織田
|
佐々生
|
平井
|
梅浦
|
2
|
佐々生
|
50
|
青柳柳塘(あおやぎ りゅうとう)の実弟の大山陶斎(おおやま とうさい)は、鯖江藩を代表する何の学者か。
|
漢学者
|
儒学者
|
国学者
|
医学者
|
1
|
漢学者
|
51
|
若い女性をモデルにしたロマンチックな哀感あふれる作品で評価が高い画家の窪田しずは、彫刻家である誰と結婚したか。
|
高村光雲
|
高村光太郎
|
岡本太郎
|
雨田光平
|
4
|
雨田光平(あまだ こうへい)
|
52
|
新横江村長、県議を務めた藤田惣左衛門は、どこの施設の充実に尽力し、産業振興に貢献したか。
|
国道8号線
|
敦賀港
|
三国港
|
サンドーム福井
|
2
|
敦賀港
|
53
|
福井藩第2代藩主松平忠直は、誰の孫にあたる人物か。
|
徳川秀忠
|
結城秀康
|
徳川家康
|
徳川家光
|
3
|
徳川家康
|
54
|
源平盛衰記にも登場する斎藤実盛(さいとう さねもり)は、誰の軍と戦って加賀国篠原で討死したか。
|
源頼朝
|
源義経
|
木曽義仲
|
足利尊氏
|
3
|
木曽義仲
|
55
|
東洋のシェークスピアと言われる近松門左衛門は、江戸時代いつの時期の三大文豪か。
|
天保
|
化政
|
安政
|
元禄
|
4
|
元禄
|
56
|
立待村村長であった野尻録衛(のじり ろくべい)が私費で用地を買収し献納したのは何の施設か。
|
歩兵第三十六連隊
|
嶺北忠霊場
|
中央中学校
|
立待小学校
|
1
|
歩兵第三十六連隊
|
57
|
味真野清水頭にあるお寺へ乳母奉公へ出た、のゑ女が、本山の二女児を連れて外出したところ突然に襲ってきた動物は。
|
猪
|
熊
|
犬
|
猿
|
1
|
猪
|
58
|
幕府の医学所教授であった渡辺洪基が、1871年伊藤博文らの随行で渡った先は。
|
イギリス
|
フランス
|
オランダ
|
アメリカ
|
4
|
アメリカ
|
59
|
福井県美術教育協会理事として美術推進に尽力した木戸武雄の日展入選作品名は。
|
山水
|
海水
|
湖水
|
川水
|
3
|
湖水
|
60
|
「由斎彫り」と称えられる沈金師真保由斎が出品し、数々の賞を受賞した万博は。
|
ウィーン万博
|
大阪万博
|
ロンドン万博
|
シカゴ万博
|
4
|
シカゴ万博
|
61
|
福井の明新館に入学し、米国人教師グリフィスと出会った今立吐酔が、明治7年グリフィス帰国の際に渡米し留学した大学は。
|
ボストン大学
|
フィラデルフィア大学
|
ハーバード大学
|
ニューヨーク大学
|
2
|
フィラデルフィア大学
|
62
|
昭和9年に絹織物製造業を創業した揚原新十郎が昭和24年に生産を始めたものは。
|
ベルベット
|
レーヨン
|
ナイロン
|
ポリエステル
|
1
|
ベルベット
|
63
|
西大井・川去両地区の農業用水の水不足を解消するために日野川から取水することを考えた西野利兵衛が、江戸に赴いて直訴し、許可を得た将軍の名は。
|
徳川家康
|
徳川吉宗
|
徳川綱吉
|
徳川秀忠
|
4
|
徳川秀忠
|
64
|
学習院・東京工大のオーケストラの指揮者を勤めた棚池慶助(たないけ けいすけ)が、昭和21年に鯖江に戻り結成したものは。
|
棚池楽団
|
棚池カルテット
|
棚池アンサンブル
|
棚池ユニット
|
3
|
棚池アンサンブル
|
65
|
戦中戦後の激動期に本願寺派執行長を務めた朝倉暁瑞(あさくら ぎょうずい)が、昭和29年に日本代表団の団長として参加した世界仏教徒会議が開催された国は。
|
中国
|
ビルマ
|
ネパール
|
タイ
|
2
|
ビルマ
|
66
|
柴田勝家から一万石(片上郷とされる)を与えられた毛受庄助が勝家の退却のために、兵200を率いて果敢に応戦した大軍の大将は。
|
織田信長
|
徳川家康
|
豊臣秀吉
|
明智光秀
|
3
|
豊臣秀吉
|
67
|
県考古学界の草分である斎藤優が、中心となって発掘した遺跡は何か。
|
三峯城跡
|
王山古墳群
|
今北山・磯部・弁財天古墳群
|
般若寺跡
|
2
|
王山古墳群
|
68
|
大正12年に福武電鉄㈱を設立して社長に就任した野尻弥重郎(のじり やじゅうろう)が、用地交渉に尽力したのは、何の改修事業か。
|
日野川
|
足羽川
|
論手川
|
浅水川
|
4
|
浅水川
|
69
|
新横江村長であった岩野寛が、昭和23年に関係村長と協力し、合併を実現した相手先は、新横江村・鯖江町とどこの村か。
|
舟津村
|
中河村
|
吉川村
|
豊村
|
1
|
舟津村
|
70
|
昭和4年に酒井伊四郎(さかい いしろう)が創設した酒伊合同紡績㈱は、どこと資本提携し昭和9年に酒伊織物㈱となったか。
|
日商岩井
|
住友商事
|
三井物産
|
三菱商事
|
3
|
三井物産
|
71
|
苦学して東大医科学を卒業した古川田溝が、学費を得るために熱中したことは。
|
野菜作り
|
標本作り
|
薬草作り
|
花作り
|
2
|
標本作り
|
72
|
江戸時代末期より呉服商を営んでいた桑原甚六が、明治30年の県議会で福井の簡易農学校を鯖江町に移転する案を提出し、大正3年に設立認可された学校は。
|
今立農学校
|
鯖江農学校
|
越前農学校
|
進徳農学校
|
1
|
今立農学校
|
73
|
勇敢な行為により福井藩から金品の褒美を与えられた、のゑ女の石碑が建てられている越前市のお寺は。
|
引接寺
|
龍泉寺
|
金剛院
|
毫摂寺
|
4
|
毫摂寺(ごうしょうじ)
|
74
|
明治新政府が近代国家を築いていく新しい担い手を養成するため全国各藩から優秀な人材を選抜し教育する制度で、鯖江藩から唯一人矢代操が選抜された制度は。
|
特待生制度
|
貢進生制度
|
推薦生制度
|
留学生制度
|
2
|
貢進生(こうしんせい)制度
|
75
|
福井藩第2代藩主松平忠直が、大坂冬の陣で討ち取って大功をたてた相手は。
|
真田幸村
|
石田三成
|
加藤清正
|
福島正則
|
1
|
真田幸村
|
76
|
高島善左衛門は、川が氾濫するたびに田畑が石河原と化してしまう様子を見て、村に繊維産業を導入することを考えたが、その川の名前は。
|
浅水川
|
九頭竜川
|
日野川
|
石田川
|
3
|
日野川
|
77
|
県議会議長を務めた窪田彦左衛門の長男、窪田彦左衛門(2代)が務めていた県の委員名は。
|
監査委員
|
選挙管理委員
|
農業委員
|
文化財保護専門委員
|
4
|
文化財保護専門委員
|
78
|
鯖江藩の藩医として活躍した西島家は玄仲の代に名字を何と改めたか。
|
雨宮
|
西宮
|
宮司
|
宮本
|
1
|
雨宮
|
79
|
鯖江市域から選出された最初の衆議院議員である永田定右衛門が中心人物であった政治団体、南越自由党の機関紙名は。
|
南越自由新聞
|
鯖江自由新聞
|
北陸自由新聞
|
越前自由新聞
|
3
|
北陸自由新聞
|
80
|
では、その南越自由党は、明治15年に誰の提唱によって組織されたか。
|
高島七郎右衛門
|
杉田定一
|
三田村吉継
|
加藤吉太夫
|
2
|
杉田定一
|
81
|
鯖江藩第7代藩主間部詮勝が西丸老中職の時に、幕府から鯖江に築城の許可があり築城費が下賜されたが、その金額は。
|
50両
|
500両
|
5,000両
|
50,000両
|
3
|
5,000両
|
82
|
女子教育の先駆者禿すみ(とく すみ)は、明治33年に仁愛女学館を開設したが、その頃の1ヶ月の授業料はいくらだったか。
|
20銭
|
2円
|
20円
|
200円
|
1
|
20銭
|
83
|
鯖江出身の偉大な医学者、政治家として記憶に残る小泉親彦(こいずみ ちかひこ)が、学生時代に答案を全て外国語で書いて、教官から生意気と見られ、席次が2位に下がったという逸話が残されているが、その時に使った外国語は。
|
英語
|
ドイツ語
|
フランス語
|
オランダ語
|
2
|
ドイツ語
|
84
|
西沢吉治(にしざわ きちじ)は、明治38年台湾と香港の間に真珠、海苔が無尽蔵にある無人島を発見し、一大事業を展開したが、その無人島の名前は。
|
済州島
|
ルソン島
|
プラタス島
|
海南島
|
3
|
プラタス島
|
85
|
萬慶寺の開祖で、赤穂浪士が討ち入りの後、立ち寄った江戸の泉岳寺で彼らを受け入れる決断を進言したという逸話をもつ僧侶は。
|
瑩山
|
承天
|
道元
|
義介
|
2
|
承天(しょうてん)
|
86
|
19歳で鯖江藩医土屋家を継いだ土屋公章(つちや こうしょう)は、何の普及に尽力したか。
|
漢方薬
|
レントゲン
|
血液検査
|
種痘
|
4
|
種痘
|
87
|
長泉寺町の歯塚権現境内に墓碑がある富田長秀(とだ ながひで)は、誰により府中城主に任命されたか。
|
豊臣秀吉
|
柴田勝家
|
朝倉義景
|
織田信長
|
4
|
織田信長
|
88
|
片上村で生まれ、県師範学校卒業後惜陰小学校訓導になった山本由松(やまもと よしまつ)は、開学以来初の大学葬で弔われたが、その大学の名前は。
|
北京大学
|
上海大学
|
台北大学
|
高雄大学
|
3
|
台北大学
|
89
|
源平合戦で活躍した斎藤実盛の供養の意味をもつ、西日本で行われている伝統行事は。
|
虫送り
|
送り火
|
稚児行列
|
盆踊り
|
1
|
虫送り
|
90
|
北中山村村長を15年間、県議会議員を12年間務めた小谷重右衛門(おだに じゅううえもん)は、村役場助役時代に北中山村の4小学校を1校に統合することに尽力したが、その小学校は、落井、赤坂、中戸口ともう一つはどこ。
|
磯部
|
上戸口
|
川島
|
松成
|
3
|
川島
|
91
|
河和田町小坂に生まれ幼時から画を好んだ霊鞍竹叟(たまくら ちくそう)が、交遊した江戸時代の画家は。
|
歌川広重
|
谷文晁
|
葛飾北斎
|
尾形光琳
|
2
|
谷文晁(たに ぶんちょう)
|