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#property | http://www.w3.org/2000/01/rdf-schema# | 住所 | http://www.w3.org/2003/01/geo/wgs84_pos#lat | http://www.w3.org/2003/01/geo/wgs84_pos#long | 祭神 | 由緒 | image |
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1 | 熊野神社 | 福岡糟屋郡新宮町的野428付近 | 33.690762 | 130.493144 | http://www.wikipediaontology.org/instance/速玉男命 | この神社は、的野区の産土神で、古くは大社と称し御神田を持ち四季の祭典が営まれていました。その後、立花城の攻防戦の戦火で焼失し、天正十五年(一五八七年)藩主小早川隆景により再建されたものが現在に伝えられています。神社創建当時については古文書等が残っていませんのではっきりしたことは分かっていません。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/1.jpg |
2 | 六所神社 | 福岡糟屋郡新宮町立花口1182付近 | 33.688116 | 130.469943 | http://ja.dbpedia.org/resource/天照大神 | 天照大神、春日大神、熱田大神、賀茂大神、宇賀大神、貴船大神の六人の神様が集まって六所宮と名づけられた。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/2.jpg |
3 | 川上神社 | 福岡県糟屋郡新宮町原上144-8付近 | 33.690334 | 130.463445 | http://www.wikipediaontology.org/instance/豊玉姫命 | 立花山の麓にあり由緒不詳、香椎宮社記に曰く、人皇四十七代天平宝字四年勅ありて当社の祭礼を定め賜ふ、九月十日川上神社還幸ありと見ゆ。旧社號託上神社と云伝ふ、縁起に曰く昔香椎宮神幸あり、只今は御神幸止みて隔年四月十七日同宮より神使参向の上神饌を奉り報賽の祝詞を奏す事となれり、神功屋敷あり農家の間にあり標を立てたり、方二間許は祟ありとて妄に近づかず三代実録曰、筑前国託比咩神従五位下とあり明治五年十一月三日村社に被定。祭神伊弉冊命、速玉男命、事解男命は立花村大字原上字宮の上無格社熊野神社として祭祀ありしを大正十三年一月十二日許可を得て合祀す。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/3.jpg |
4 | 新宮神社(上府) | 福岡県糟屋郡新宮町上府1081 | 33.707585 | 130.452896 | 野櫲樟日命 | 以前は毎年祭日に新宮浦漁人が掛け鯛を当社に奉納していたので、新宮浦も昔は同社の氏子だったと考えられている。明治23年に鉄道が開通し、新宮神社のすぐ横を黒煙をはきながら列車が通ることとなり、参詣が不便となったため明治41年12月16日に小万崎の現在地に移された。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/4.jpg |
5 | 新宮神社(下府) | 福岡県糟屋郡新宮町下府(大字) | 33.715978 | 130.437979 | 墨江三前神 | 歓請されてから歴史がまだ浅く、境内社も明治以降各地にあった祠を合祀したものだけである。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/5.jpg |
6 | 高松神社 | 福岡県糟屋郡新宮町下府(大字)1 | 33.698 | 130.449075 | 大市姫神命(おおいちひめのみこと) | 祭神である大市姫命は須佐之男命の后で市場を司る神とされているので、この高松の地は古代は入り江のそばにあって交易が行われていたと考えられる。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/6.jpg |
7 | 人丸神社 | 福岡県糟屋郡新宮町桜山手2丁目21-13付近 | 33.704206 | 130.435953 | 上總景清の女人丸霊 | 人丸神社は源平合戦に哀史にまつわるお宮です。平景清は源頼朝に対する謀反の罪で日向の国へ流されました。その景清の娘である人丸姫は父を慕い京の都から九州まで来ました。しかし、長旅の疲れからこの地で病にかかりそのまま亡くなってしまいました。人丸姫の遺言は「父に会えずに死ぬことは心残りなので日向に向けて葬って欲しい」というもので、それに従って飛山に葬りました。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/7.jpg |
8 | 磯崎神社 | 糟屋郡新宮町新宮89 | 33.71469 | 130.433181 | http://www.wikipediaontology.org/instance/大己貴命 | このように父を慕う姫の心情から、この人丸神社は子どもの無事成長の祈願参拝の場となっています。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/8.jpg |
9 | 綿津見神社 | 福岡県糟屋郡新宮町湊297 | 33.714456 | 130.42577 | http://www.wikipediaontology.org/instance/底津綿津見神 | 筑前国続風土記によれば、「八大龍王社、東漸寺山の北にあり、湊村の産神なり。志賀三社、三宝大荒神、若宮神社、徳満神社を祭る。享保十五年(一七三〇)三苫村より勧請す。」とあります。湊村は慶長年間(一六〇〇年前後)の田村帳に「三苫村のうちの湊村」と書かれているように、三苫村の一角を占めていた村でした。 貞亨二年(一六八五)湊の古屋敷に住んでいた漁師約八〇世帯が新宮に移った時、磯崎神社と湊の氏神であった南風湊宮を新宮に遷座しました。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/9.jpg |
10 | 若宮神社 | 福岡県糟屋郡大字相島1367 | 33.7563257 | 130.364361 | http://www.wikipediaontology.org/instance/豊玉姫命 | 島の氏神で島の全戸を氏子とし、昔から島民の厚い信仰に支えられてきた神社である。明治5年11月3日村社となった。「筑前国続風土記」「同付録」「同拾遺」には「若宮大明神」とあり、現在は若宮神社や氏神様と呼ばれている。 | http://www.fit.ac.jp/~wakahara/image/10.jpg |
11 | 高妻神社 | 福岡県糟屋郡大字相島735付近 | 33.7621796 | 130.366856 | 彦火々出見命 |